どうちがうの?

出産、交配、ご訪問と、毎日、落ち着く暇も無くしていましたが、

先日、ふと、テレビに目をやると震災の、つめ跡番組が放映されていました。

涙無しでは見ていられないほど、画面に映る人たちの

心の切なさが伝わって来ました。


どうちがうの𕾮

広島の原爆の跡と、震災の避難センターの取り壊し。

大勢の人が亡くなった、町のあちらこちらで無残なつめ跡・・・

このよな町にした、相手がいないからなのだろうか?

戦争は再び起こしてはいけないと、後世に伝えるためや、

原爆を投下した相手国を戒めるためなのか?

こんな無残な戦争だったと伝えるために・・・

では、自然災害は戒める相手がいないから、形で残す必要が無いのでしょうか?

Holocaustも残酷な歴史として後世の人たちに、伝え語られているのに、

なぜ、形として残せないのかと思う。

心の中に残せばよいと言うかもしれないが、誰もが心の中に

亡くなった遺族の思いを秘めているはずです。

しかし、時と共にその記憶が薄れていくのも、悲しい事だが事実でしょう。

交通事故で亡くなった場所に、花を添えて手を合わせる人もいる。

遺体もあるのに、必ずその場所へ行く・・・

建物が無くなり、その跡地に違う景色が浮かび上がるのだ。

建物の一部を資料館として、作った所に置いて何を伝えるのだろう。

無残な壁や切れ端や写真を飾ることで、伝わるものもあるとは思うが、

実物に勝るものはない。

遺族は、その街並みを見て、何を感じるのでしょうか?


私は親を亡くしたあとに、親の住んでいた町が整理されて、

全く違う街並みや建物が立っていたのを、一度だけ見に行った事がある。

私は、二度とそこへ足を運ぶ気持ちにはならないが、違う考えの人もいると思う。


遺族が最後に足を踏み入れた場所へ、辛くても、いつも行って、

その人を感じていたいのではないだろうか。

何が違うのだろう・・・𕾮

自然殺戮と・・・

加害者がいないから、この無念さを何処にもぶつけられないから、

せめて心の拠り所を持たせて上げて欲しいと、思うのは私だけ𕾮𕾮𕾮

答えは出るのだろうか・・・


きょうは、クリスマス・イブです。

家族で食べた、あの、クリスマスケーキを、また、思い出すのだろう。

早く、心の傷を癒して欲しい。。。


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